成人式行って来ました。

とりあえず適当に中学時代の友人と駄弁ったあとに雀荘へ特攻。
収支約-500円、場代で-2000円弱といったところでした。
点ピンはきついね。







 『バカの壁』(第四章 万物流転、情報不変)を読んで


 言うのをはばかられる事ではあるが、私も前々からこの文章と同じような事を考えていた。
もちろん、論理展開の質の高さでは明らかに負けているのだが、
似たようなアイデアの事を考えていたことがある。
「一秒前の自分は今の自分とは別人」という考えに自力でたどり着き、
自分独自のものと思っていた私としては、このように自分より質の高い思考によって
きちんとした文章として論じられていることに若干ショックを受けると共に、
自分の認識の浅さに気づかされた。
正直悔しい思いでいっぱいである。

 日本人は、この文章の個性についての論のような、思想についての話題に弱いような気がする。
普段は無宗教なのにクリスマスを祝うのは、宗教混乱地帯日本ならではのことである。
そもそも、「無宗教」自体「唯物教」と呼ばれる宗教に分類できることを知っている
日本人は果たして何人いるであろうか。
さらに、思想だけではなく思考にも弱いのではないか。
数学嫌いの学生が多いのは周知の事実であり、暗記をすることが勉強をするということだ、
という勘違いをしている学生は少なくない。これでは思考力が養われるはずもない。
私は「人間は物事を判断するときに、『正しさ』ではなく、言葉の『雰囲気』や『明快さ』等の
『説得力』とも呼べるもので判断する」という持論を勝手に掲げているのだが、
日本人は特にそれが顕著に表れていると考える。

 もともと昔から他人に見られても恥ずかしくない行動が美徳とされていたお国柄なのに、
無理にアメリカの個人主義的な考えを導入しようとしても、うまくいくはずがない。
それに加えて前述の通り、最近の日本人は考えることを面倒くさがる傾向にあるので、
ろくに自分にとっての信念も持たずに、言葉の聞こえがいいのに任せて
「個性」だの「自由」だのと言うのである。
「個」とは何か、「性」とは何か。「自らを由とする」とはどういうことなのか。
それを考えようともしないのに訳知り顔で語るのが非常に嘆かわしい。

 「考える」ということにも少し触れており、「考えること自体は何も生み出さない」という内容であった。
まさにその通りで、考えて分かる事というのは既に知っていたことなのである。
私は「考える」ということは、頭の中の情報を整理することだという認識を持っている。
だから、考えても分からないことに対しては一度考えるのをやめ、
気分転換をするなり新しい情報を仕入れるなりの行動をするのが効果的である。
卒研をしていると、たまに「うーん」とうなりながら頭を抱えている奴を見かけるが、
そういう奴ほど実はその状態では大して頭は回転しておらず、思考停止の状態に陥っているのだと思う。
かく言う私も頭を抱えて悩みたくなるような壁を一、二度越えてきたが、
うなりながら頭を抱えている時に、ハッと自分の頭が回転していないことに気づき、
慌てて自分をいさめるような経験を何度かした。
本来の意味とは少しずれるかもしれないが、「下手の考え休むに似たり」というのはこういう事なのだろうか、と思った体験であった。

 最後のほうでは、熱心な宗教家を敵に回すような発言をしていた。
「神」という個体が居るのではなく、人間が精神の中に生み出したものが「神」だと言うのである。
しかし、これにも実は賛成である。キリスト教の教えで、「神は頼るべきものではなく愛すべきものである」というものがある。
即物的な現代人からしたら、頼れない神など要らないと思うのかもしれないが、
そもそも宗教とは心の支えとするのが基本なのだ。心とはすなわち精神。
精神の支えとなるものを精神の中に作り出す、というのは
宗教という観点から一歩引いた目線から見ても非常に理に適った方法なのではないかと思う。








あ、すごい今更だけどあけおめ。ことよろ。(今では死語という噂も)
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by srtrkodama | 2007-01-09 01:55 | 徒然
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