どーでもいいこと

ある物書きがこんなことを言っていた
「物語は作者が表現したいものの塊で、伝えたいテーマが必ずある。
読者はそれを受け取ることができるか否かの二択で、読者自身にはそれほどの主体性は無い」


私は、ひとつの物語をみてそこから何を見出すかは人それぞれであり、
たとえ作者がテーマを決めて「こういうことを伝えたい」と思っていたとしても、
読者がその作品から、作者の意図していない読み取り方をするのもアリかと思っている。
例えそれが一般的に間違っているとされる解釈の仕方であったとしても。

ていうか思春期のガキみたいなことを言わせてもらえば、
「一般的」とか「常識」とか「社会」とかいう概念は意味わかりませんよね。
同じ国の中ですら、時代によっても地域によっても、常識なんていうものは全く異なるもので。

さらに言えばその辺の人ふたり並べて比較しても、
どういうのが常識かなんて認識は、似ていたとしても決して同じでは無い。

社会という概念もそう。多数派であれば説得力が増すのは理解できるが、
だからと言ってこちらの思う「社会」は間違っていて、
自分たちの言う「社会」が大多数の意見だみたいな、
正しさを問うわけでもなくただ「たくさんの人がそう言っているから」という理由で
正解だと決め付ける思考停止っぷりは実際どうなのよ?
みんながそう言っている?みんなって誰よ。ここにつれて来い。

「社会」という概念の理解の仕方も、人によって多少は違うものなんだっつーの。
There is no such thing as society.
っていう有名な格言を知らんのかお前らは みたいな。


閑話休題。

一度文字という媒体に自分の思いを表現すれば、
それは自分の思いそのものではなく、ただの文になる。

そこから何を読み取るかは人それぞれであり、
それが作者の意図とは違うからと言って、誤読と言ってしまうのは傲慢に過ぎないか
などと考える。

まぁ要するに、
読者側はあまり型にとらわれないで物を読むほうが楽しいし、
作者側は自分の意図と違った読まれ方をしても笑って見れるくらいの精神の余裕を持つのがいいんじゃない?
ってこと。

※ わき道にそれた文のほうが長いのは、仕様です
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by srtrkodama | 2006-05-02 01:45 | 徒然
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