論理

人を諭すとき、人を説得するとき。
最も重要な要素は何か。

理論の正しさ?
理論の明快さ?

答えは「説得力」であると考える。
「影響力」と言い換えてもいいかも知れない。









例えば、人を好きになったとする。
友人に「その人のどこが好きになったん?」と聞かれる。
そこで「ちょっとはにかんだ笑顔とか」と答えたとする。

しかし、今までなんとも思っていなかった人間の「はにかんだ笑顔」を見ただけで、
その瞬間に0から1へと感情が変化し、好きになるのだろうか?

答えは否。

以前からなんとなく「いいなぁ」と正の感情を抱いていて、それが表面化するきっかけくらいにはなったかもしれないが、それは好きになるひとつの「要素」にはなり得ても、「原因」にはなり得ない。

しかし、人に問われると、「はにかんだ笑顔」と言う。

ここで、理論の後付が行われたのだ。
他人、あるいは自分が納得のいく「答え」を後から追加する。
まず最初に「感情」があり、それに説得力のある「理論」を付け足す。
故に大元の「感情」に理由など無く、後で理解把握されて作り出されるのが、世で感情の理由と呼ばれるものである。

という極論を「後付理論」と勝手に名づけ、私が勝手に提唱していたりする。
(「なんとなく」という感情 → 「はにかんだ笑顔」という明確な理論)
               移 行(説得力の付与)


これは極端な例だが、物事のひとつの側面である、と私は思う。

友人から「アイツのはにかんだ笑顔が好きなんだ」と聞かされ、
そこで
「本当に、はにかんだ笑顔を見たから好きになったのか?別のもっと大きな要素があったのではないか?」と正しさを問うのが第一でなく、
「なるほどね、下手に細かい説明をされるよりよっぽど分かりやすい答えだ。納得。」と分かりやすさ、明快さを第一に判断するわけでもなく、
「あー…確かにねぇ…」と深く納得するときは、決まって言葉そのものに「説得力」が付加されている時のみなのである。


勿論、「説得力」の大小を閉める要素として、「正しさ」「明快さ」は重要であるが、絶対的な存在ではない。
「説得力」は、「正しさ」「明快さ」以外にも「言うタイミング」「言う人間」「口調の荒さ・発音」など、さまざまな要素が複雑にからみあって完成されるものである。


ひとつ例をあげれば少し古いが、総理大臣の小泉さんが優勝した相撲の力士に
「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」
みたいな事を言い、名言とされたのは有名である。

なぜこの言葉が「名言」となり得たのか。

民衆は「正しさ」だけを見たわけではないだろう。
「明快さ」だけを見たわけでもないだろう。
もちろん痛みに耐えて頑張ったのは事実であろうし、とても分かりやすいスピーチであることは確かだ。
しかし、
「内閣総理大臣という為政者」が、「優勝賞授与式」という状況で、「お堅い挨拶があるんだろうなぁというおおよその予想を裏切り」言った という事が、大衆の心をつかんだのではないか。

「正しさ」「明快さ」「言う人物」「言うタイミング」「判例との差異」…
どれかひとつが欠けたら、名言にはなり得なかったのではないだろうか。
早い話、ホームレスが街頭のTVを見、一緒に見ていた仲間に言ったところで、
「そうだなー」程度の共感しか得られないのである。

人を強く納得させる場合、理論が後付される前に心に響く「何か」

それは、「正しさ」「明快さ」などの要素を含んではいるが、
「説得力」「影響力」というひとつの概念として、直接心に働きかけてくるものではないか。
そう私は思っている。
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by srtrkodama | 2005-12-31 06:41 | 徒然
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